多分、ほとんどの小学生がこう思っているのではないでしょうか?
私も小学生の時はそうでした。
クラスの子がいじめられているのを何もしてあげることができませんでした。
今でも思い出すと胸が痛くなって悲しくなります。
もう一つ私は「いじめられっ子」でもありました。
私は「きつおん」という「こ・こ・こ・こんにちは」といううまくしゃべれない障がいがあります。
小学生の時はそのことでからかわれたり笑われたりしてとても傷ついて登校拒否になったこともありました。
今もきつ音は治っていませんが、うまくしゃべれないことにはもう悩んではいません。
でも、小学生の時に言われたことは今でも覚えていて思い出すと苦しくなったり悲しくなったりします。
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実際にどうすればいいのかということは当時も分からなかったし今もはっきり言って分かりません。
ただ「信頼できる人に相談する」ことはいいことなのかとは思っています。
その信頼できる人というのが先生なのか両親なのか親友なのかは分かりません。
でもそういう人が周りにいることはとても心強いとは思います。
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私が小学生の時に分からなかったことを小学生のあなたに考えてほしい。
そう思って読んでほしい本を選んでみました。
その前に一言だけ。
これらの本に出てくる人たちは架空の人ではなく「あなた」のことです。
あなた自身のことだと思って読んでたくさん考えてみてください。
- わたしのせいじゃないーせきにんについてー
- しらんぷり
- わたしのいもうと
- ひとりひとりのやさしさ
- ブルーとオレンジ
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わたしのせいじゃないーせきにんについてー
一人の男の子が泣いています。
「いつ始まったのか知らない」「みんなたたくからひとりでは止められなかった」「あの子が変わってるのよ」
とにかく「わたしのせいじゃない」が次々とくり返されます。
子どもたちの集団がいて、その中の一人の男の子が泣いています。
「なぜ泣いているのか」を子どもたちが順番に話していくのですが、だれも「自分が悪いです」とは言いません。
ただこれだけです。
あなたの教室で友達がいじめられて泣いていたら・・・あなたはどの理由で「わたしのせいじゃない」と言いますか?
- 「ただ見ていただけで何もしてないから」
- 「みんがやっていたから」
- 「みんなと違うあの子が悪いから」
たくさんクラスメートがいれば、友達がいじめられて泣いていても、きっと「わたしのせいじゃない」って思ってしまいますよね。
でも、たとえあなたが何もしていなくてもその場にいただけでも「わたしのせいじゃない」って誰かのせいにするのは「あなたのせい」になるんです。
わたしも小学生の時は「あの子がいじめられてるのはわたしのせいじゃない」ってずっと思っていました。
でも、本当に「わたしのせいじゃない」んでしょうか?
クラスの一人一人が「わたしのせい」って思えていればもしかしたら違う結果になったのかもしれません。
お話の最後に戦争関連の白黒写真が何点か載っていました。
- お腹を空かした子どもや傷を負った子ども
- 戦争に行かなくてはいけない子ども
- 戦争によって油まみれになった鳥
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多分小学生のみなさんには想像できなく関係ないことだと思ってしまうかもしれません。
でも、本当に関係ないんでしょうか?
「私には関係ない」「私のせいじゃない」って言っていると気がつかないうちに大変なことに巻き込まれたりもします。
「わたしのせい」「わたしにかんけいがある」といろんなことを見て感じて声をあげていかないといけないんですね。
しらんぷり
クラスメイトのドンチャンがまたいじめにあっています。
いじめているのはヤラガセたち4人組で、ドンチャンは、だまってやられるままになっています。
ぼくたちはみんな知っているのに知らんぷりをするだけです。
何か言ったらこっちがいじめられて知らんぷりをされるから・・
「わたしのせい」じゃないと思っていた小学生の私はいじめを知っていて「知らんぷり」もしていました。
「知らんぷり」をしたのは、助けようとしたら「自分がいじめられるかもしれない」と思っていたからでした。
先生も見ていて知っていたのに「知らんぷり」をしていたので、「知らんぷり」をするのが正しいと思っていました。
そのことを思い出しながらこの本を読むと、まさに主人公のぼくは当時の私です。
そして、今のあなたではないでしょうか?
この本を読むといじめは、「いじめる子」と「いじめられる子」だけで成り立っているわけではないということに気づかされます。
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いじめっ子が実はもっと強いいじめっ子にいじめられていたり・・・・
小学生の時はただいじめる子が悪いと思っていたのですけど、もしかしたらあの子も実は「いじめられる子」だったのかもしれません。
だからと言って、友達をたたいたりしていいことにはなりませんが、あの時そういうことを考えていれば何か違ったのかなと思ったりもします。
小学生のあなたならどんなことを考えるのでしょうか?
いじめられていたどんちゃんは誰にも助けてもらえずに、いじめられたままでした。
いじめっ子のヤラガセも謝っていません。
いじめっこを倒してみんな仲良くなるといったハッピーエンドで終わるお話ではないので、何かモヤモヤしたものを引きずります。
でもこれが現実なんですよね。
どうしたらこのいじめの元をなくせるんでしょうか。
この記事を読んでいるあなたはいじめたこともいじめられたこともないかもしれません。
ただ、冗談とかいたずらとか軽い気持ちで言った言葉でも言われた方は傷ついて悲しかったりそのことをずっと覚えているものです。
今後気がつかないうちに誰かを傷つけてしまったりすることもあるかもしれません。
そういうことを今のうちに考えてほしいと思って読んでみてほしい本です。
わたしのいもうと
私の妹はいじめによって傷ついて学校に行けなくなり、誰とも話すことをしません。
妹をいじめた同級生たちは、妹をいじめたことを忘れて中学生になり、高校生になって笑いながら歩いていますが、妹はもう笑うこともできないのです。
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このお話は本当にあったことです。
そして、あなたのまわりでも起こることです。
いじめたほうは何事もなかったかのように楽しい毎日を過ごしていますが、いじめられた方は心が傷ついて学校に行けなくなったり心を閉ざしてしまうことだってあります。
でも、いじめた方はそのことに気がつかないのです。
忘れてしまうのです。
いもうとが最後に残した手紙の内容に心を打たれます。
わたしを いじめたひとたちは もう わたしを わすれてしまった でしょうね。
あそびたかったのに べんきょうしたかったのに
ひとりひとりのやさしさ
マヤはごく普通の転校生の女の子でした。
ただ着ているものが他の子たちよりも古くてみすぼらしかった。
ただそれだけです。
でもそれだけで誰も話しかけようともしないし、無視し続けました。
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マヤは結局そのまま寂しそうにいなくなっていったのです。
マヤがいなくなった後、担任のアルバート先生が水の入ったバケツを教室に持ってきました。
先生は小石を水に落としてこう言いました。
「やさしさも、これと おなじですよ。 わたしたち ひとりひとりの 小さな やさしさが、 さざなみの ように せかいに ひろがっていくのです」
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あなたならマヤにどう接してあげればよかったと思いますか?
ブルーとオレンジ
小5の男子“ブルー”はクラスの上下関係を気にしながらいじめに耐えていました。
同じクラスの女子‟オレンジ‟はいじめグループの真ん中でうまくふるまう世渡り上手でした。
そんなある日、クラスの男子が出ているサッカーの応援に行ったときに監督が言った「自分の武器はなにか、考えろ」という言葉が胸に響きました。
そして、自分の武器を発見した“ブルー”と”オレンジ”は自分にできることはなにか、真剣に考え「いじめの空気」に立ち向かっていきます。
クラスにいると何となく感じませんか?
はっきりとは分からなくてもなんとなく「いじめが起こっているような空気」を。
ブルーもオレンジもそういう空気をとても敏感に感じてしまうので、「関わりたくない」「めんどくさい」と思いながらも、いじめられないようにクラスの力のある子に従ってしまうのです。
でも、こういう力関係を「なんだかめんどくさい」と思ってしまうのは誰にでもある普通の感覚じゃないでしょうか?
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今後の関係もあるからクラスのリーダーが言い出したことには従う。
大抵クラスのリーダーは足が速くて勉強ができてイケメンの男子がいつの間にかなっています。
私の小学校にもいましたね、そういう子。
この本にもありますが、リーダーが昼休みに「みんな 校庭でサッカーしようぜ」と提案したらヘタだし楽しくないと思いながらも渋々参加してました。
本当は図書館で本を読みたかったのに参加しないと後で何か言われそうだからと。
今思い出しても、楽しくなかったなあ・・・
ブルーやオレンジが見つけた「自分の武器」を見つけられれば良かったのにと、この本を読んで思いました。
それか『ブルーとオレンジ』のいつも一人で本を読んでいる糸川くんのような強さとじぶんらしさをもっていれば違ったのかなとも思います。
ここまで読んできたあなただったら、何か気持ちが変わりましたか?
具体的な行動を起こせなくてもいいので、一生懸命たくさん考えてみてください。
「みんなと違う」ことが本当にいけないことなのか、「みんながやっていること」が、本当に正しいことなのか