昨日も今日も特に変わったことなし!
僕の人生って何も起こらなくて平凡だよなあ・・・
何も起こらなくて結構なことじゃないですか!
毎日刺激的なことがあるとそれだけで疲れちゃいます。
じゃあ、今回は平凡な日にも何か変化を見つける気持ちに変える本を紹介していきましょう。
- ありがたいこってす!
- 女性徒
- 少女ポリアンナ
- 赤毛のアン
ありがたいこってす!
昔々、貧しい男が母親とおかみさんと、6人の子どもたちといっしょに、部屋が一つしかない小さな家に住んでいました。
家の中が狭すぎてうるさいので、男はとうとう我慢できなくなってラビ(先生)のところへ助けを求めにいきます。
ラビの言うとおりにすると、男の生活は前よりひどくなるばかりです。
とうとう耐えきれなくなった男にラビが最後に与えた助言で、男は平和に暮らすことができました。
ラビが教えてアドバイスは首をひねるものばかりでした。
「外に飼っているニワトリを家の中に入れなさい。」
「牛ややぎも家の中に入れてあげなさい。」


その結果、男の家の中は前よりも大騒ぎです!!
牛やヤギが暴れるし、にわとりは大声で鳴くし。
「もう限界だ!耐えられない!」と男がラビに助けを求めに行くと、ラビは一言
「動物を全て外に出しなさい」
そうすると、家の中は家族だけの声になって、男はぐっすり眠ることができました。

男はラビに感謝します。
「俺の暮らしを楽にしてくださった。家の中には家族のものがいるだけで、静かでゆったりで、平和です。ありがたいこってす!」
家の状態は前と何も変わっていません。
元に戻っただけです。
それでも男は以前はうるさくてたまらなかったのに、今は幸せを感じています。
なぜでしょうか?
ぜひ考えてみてください。
あなたは今の生活が平凡だと思っているのなら、何か失くしたことを想像してみてください。
失ったときに初めてどれくらい幸せだったの分かります。
女性徒
『女生徒』は14歳の「私」が朝起きてから夜寝るまでの一日の行動を語っている話です。
父を亡くして姉が嫁いでいったため、母と二人で暮らしている「私」は、思春期真っ只中にいます。
父と姉を寂しく思いながら、自分自身に葛藤して戸惑いながら、1日が終わるのです。
太宰治『女性徒』にはこんな名言があります。
ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当に良いところがある、と思った。花の美しさを見つけたのは、人間だし、花を愛するのも人間だもの。

花を美しいと感じることができるのは人間の特権です。
その特権を活かさないのはもったいないですね。
毎日学校に向かう途中の通学路で、道に咲いている花を見つけてみましょう。

- 電柱の下でひっそりと咲いている小さな花
- 家の前に置いてあるプランターの花
など・・・
花を探そうとするだけで、いつものありふれた通学路がとても明るく華やかな楽しいものになりますよ!!

【『女性徒』についてはこちらのブログにも書いています】
少女ポリアンナ
両親を亡くしたポリアンナはおばのポリー夫人の家に引き取られます。
子供嫌いでへんくつのポリー夫人に厳しく冷たい態度をとられ、慣れない環境に置かれてもポリアンナは父親の教えてくれた「うれしくなるゲーム」で明るい気持ちになっていきます。
ポリアンナの明るさは町の人たちも元気にしていき、町中の人気者になっていきます。
しかし、ポリアンナは交通事故に遭ってしまい、「もう一生歩くことはできない」と言われてしまうのです。・・・
ポリアンナほど全てのことに喜びを見つけられる天才はいないでしょう。
何しろものすごくいいことしか考えない人のことを(楽観主義)「ポリアンナ主義」(Pollyannaism)という言葉があるくらいです。

ポリアンナは人形が欲しかったのに松葉杖をもらっても、
「私には松葉杖を使う必要がない足があるから幸せ」
交通事故にあって「一生歩けなくなるかもしれない」と言われても
「こんな目にあわなかったら、足のありがたみはわからなかったわ。」
あなたは毎日の日常に何かいいことを見つけていますか?
- 字が読めること
- 自分で歩けること
- 友達とおしゃべりできること
- 音が聞こえること
などあなたにとって当たり前でもそれができない人にとっては夢のようなことです。



ポリアンナはこうやっていいことを見つけることを「うれしくなるゲーム」と呼んでいます。
【『少女ポリアンナ』についてはこちらのブログにも書いています】
赤毛のアン
孤児のアン・シャーリーは大きな眼にソバカスだらけの顔、おしゃべりと想像することが大好きな赤毛の女の子。
手違いから、グリン・ゲイブルスの老兄妹のマシューとマリラに引き取られ、初めは戸惑っていた2人も次第にアンを愛するようになり、アンは美しい自然のの中で明るく成長していきます。
アンとダイアナはダイアナのおばさんである大金持ちのミス・バリーの家に泊まります。
そこではアンの家では体験できないような楽しいことや美味しい食事がたくさん食べることができて、アンは大満足でした。

しかし、それでも一番楽しいのはわが家だとアンは言っているのです。
「ああ、生きていること、そして家に帰っていくって、なんてすてきでしょう」
『オズの魔法使い」のドロシーも言っていますが、非日常な体験というものはその時は楽しくてもずっと続くと飽きてしまいます。
結局帰りたくなるのはわが家なんです。
何でもない日常こそが幸せだと考えてみてください。
帰ってくれば家に明かりがついていて、ご飯ができている。
家族でテレビを見て笑って、いっぱい話をして。

よく考えたらそれってすごい幸せなことじゃないですか?

【『赤毛のアン』についてはこちらのブログにも書いています】